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キャリア形成論--与えられた時間をどう使うか

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イケダハヤトさんのブログから。

彼が言っていることはつまり、「時間というのは有限であり、それを何に使うのかによって自分の能力やスキルが決まってくる。そんなにいくつもの分野の能力を身に付けられるほど、時間は多くないし、時間単位あたりの身につけられるスキルもない」ということなのでしょう(僕なりに補足しています)

ここで見えにくい前提、つまり、僕が細くした点は二点あります。
1. 時間というものの有限性
2. 時間単位あたりに身につけられる能力

1に関しては、ある意味自明かなとも思うのですが、人生において自分のキャリア形成を考えたときに、専門性という考えが大事になってくると思います。
この部分は他人より秀でているというコアコンピタンス。
それを形成するのがキャリア形成という考えで、その際に助けになるのが、彼の時間配分という考えだと思います。
そういった専門性を身につける際に、人はいくつもの専門性を身につけられない、ということ、それには人生はあまりにも短すぎるということです。
たかだか二十歳超えたばかりの自分が言ってもあまり説得力がないと思うので、深堀はしませんが、これは逆に言えば「手を広げない勇気」を持つことが大事だと言えます。
自分はあれもこれもやりたい(できる)と思って複数の専門分野に足を突っ込むと、そのどれもが未成熟なままで終わってしまい、結局中途半端なままで終わってしまうということ(付随的にいろいろやるのはいいと思うのですが、自分がこれで勝負する、というものは絞ったほうがいい、ということです)。

2つ目は、自分が時間単位あたりに身につけられる能力を過信しないということ。
これは個人によって程度の差があるものですし、自分の場合はどうなのかということを把握し客観視する必要があるのです。
(しかしこれは経験にいよって試行錯誤しながら進めなければわからないという要素もあるのですが。。)
そしてこれは短期的な支店で考えるときにさらに有効になる考えです。
長期的には、そもそもプランニング自体が難しくなってきますし、短・中期の目標設定の際に注意しなければならないことです。


さて、僕個人のケースで考えてみると、今これは個人的にものすごいホットなテーマだったりします。
つまり、自分の進路の置き方をどうするか、ということ。
いま僕は三年生として普通に就活していますが、三つの選択肢があると考えています。
一つは、このまま就職する。二つ目は、院に進学し修士で就活。三つ目は休学して海外インターン。
これらは短期的な1年間や2年間の時間を、自分のスキル向上のどのような部分に当てていけばいいか、という問題そのものなのです。
実社会で経験を積む機会に当てるのか、院で専門的な知識を身につけるのに当てるのか、国際感覚や語学を向上させ実務感覚を身に付ける機会にするのか。

これらは自分が、長期的にはどのようなキャリアを歩んでいきたいのかという問題と密接に絡んでいて、なかなかちょっとやそっとで答えが出るものではありません。
まだこのことに関しては悩んでいくつもりですが、イケダハヤトさんの記事はひとつの示唆を与えてくれました。