論理と情緒と情熱と。

就活とかキャリアに関すること多め。「考えたこと」特に、キャリアに関するエントリーを中心に掲載してます。

選考時期が後ろ倒しになっても就活の本質なんて大して変わらない

久しぶりの投稿です。
二ヶ月くらい全く更新してないのに、未だに数万単位のPVをたたき出していることに僕自身驚いています。たいして内容のないブログですが、検索に引っかかってくれるんですかねえ。

f:id:kyuruppa:20160429183748j:plain

この時期になると、夏期採用などを除けばほぼほぼ大手の採用は殆ど終わっている時期ですね。そろそろこのブログを見るような就活生も16卒の人が多くなるのでしょう。
ただ、16卒からは採用の時期なども変わるそうですし、今までとは違う部分も出てくるとは思うので、このブログに書いてあることがそのまま参考になるかはわかりませんが。
とはいっても、実は新卒の就職活動で勝つための本質は変わらなくて、やはり就活市場の早期エントリーにつきるんですよね。

なぜ今回の選考時期の後ろ倒しがあまりクリティカルな要因ではないかというと、理由はいくつかあるでしょうが、

・そもそも以前から経団連が倫理憲章で定めた「選考時期」なんて守られていない(表向きは4月から面接やっていたりしますが、実際の選考はそれまでに終了していて4/1で形式的に最終面接とかざらですし、そもそも外資やベンチャーはそんなルールはガン無視しています)
・今回選考時期を遅らす、という倫理憲章の縛りに関しては、大企業でも守らないところが少なくない
・サマーインターンシップが最近だんだん広まってきて(実施企業数が今年でぐんと伸びた)、B3,M1の夏の段階で実施され、それが選考の強い材料されることが多い
・企業はそもそも早期に就活を始める「キャリアアクティブ」な人のほうが優秀である確率が高いことを知っている

なので16卒の人は「今年は先輩より就活遅く始めても大丈夫だ〜♪」とか思ってしまうのは決定的な間違いだったりするので、この記事を見たきっかけに何かしらのアクションを起こしてください。
このブログでも書この人気記事を読んだりすれば結構参考になると思いますので。

大学受験で失敗した人に伝えたいこと

僕のブログ歴はけっこう長いもので、思い返すと浪人時代も大学受験ブログ的なものを書いていました。

現役時代にすべり止め受かっていて、どうしても第一志望に行きたくて浪人したわけですが、浪人生の僕は第一志望の大学に落ちて、結局滑り止めで受けた大学に行くことになりました。現役時代もそこそこ結果出してて、浪人時も模試に名前載るくらいには成績良かったんですが、最後の最後に詰めの甘さが露呈しましたね。今でもそうですが、僕には「ディーテールまで積めるのが苦手」という根本的な弱点があるみたいです。

はたから見たらめちゃくちゃカッコ悪いわけですが、そのときの心境というのを当時にブログに書いています。時期なので思い出してしまいました。
挫折とか失敗したときって、悔しいですよね。頑張ったら頑張った分だけブーメランみたいに失敗した自分の心に突き刺さってえぐってくる。
でもそういう経験は、必ず何らかの形で糧になっていて、後々の経験に活かせるもんだと思っています。その活かし方について、何年も前の僕(当時19歳)は書いていました。

f:id:kyuruppa:20131227150849j:plain

 たとえば何らかの目標を設定してそこまで努力し、結果として目標を成し遂げられなかった人たちに対してかけられる言葉に「がんばったことに意味がある」みたいなのがありますよね。「結果が全てじゃない」とか。僕はこういう言葉があまり好きじゃないんです。あ、自分が不合格だったからではないですよ?前々からなんか違うな・・・って思ってて。失敗は客観的評価としてある意味絶対性を持っているわけで否定できるものではないし、なにか単純にその過程だけが美化されているようなものなんじゃないかって。ある種の「慰め」を伴うからこそ、失敗っていう負の側面が覆い隠されているからなんでしょうけど。
 前回の記事で人間は多面的だって書いたように、僕は「単純化」っていうのにものすごく違和感を覚える人間なので、「努力した過程だけが大事」っていう態度には賛成しかねます。やはり事実として失敗は失敗なんです。ただ、この(結果に対する)評価ってのは、上でも「客観的には」って書いたように極めて他者的な視点なので、自分が失敗をどう受け止めるかってのとは別次元である、とも思ってます。
 基本的に「他者」は結果しか見ませんし、見えません。その視点は単純化されてます。勝てば官軍なんです。そして(事実だからこそ)自分自身もそういう視点を持っていしまいがちですが、そこにとらわれる必要はないんだと思えることが自己肯定の第一歩だと思うのです。失敗を失敗で終わらせない一歩だと思うのです。
 当人にとっても失敗は事実であり客観性を持つので、そのものは変えられません。否定できるものでもないし否定していいものでもないでしょう。失敗を受け入れた上で「じゃあどうする?」「これからどう活かす?」っていう態度が必要なわけであって、そういう視点から「努力した過程」ってのを見るべきだと思うのです。失敗の否定は自己否定に他ならないのです。
 ですから 「がんばったことに意味がある」とはそのままは受け取れません。それ自体に大して意味はないと思います。失敗を次にどう活かすかという視点で過去を照射し、これから生きていくうえでの糧にできて初めて失敗を意味あるものとして肯定できるのではないでしょうか。

これは今読み直しても本当にその通りだなあと思います。
自分の中でどう受け入れるか。失敗に対して自分なりに納得の得られる解釈を与えられたときに、初めてそれを糧にできるのでしょう。失恋とか仕事とか、何でもそうですよね。
立ち直るのも時間がかかりでしょうが、そこを乗り越えれば新たな風景が見えてくるはずです。

今年度の大学受験の結果が出て、志望の大学に受からず、浪人する人・滑り止めの大学にいる人、いると思います。
たぶんすげー悔しいと思うですけど、終わったことを嘆いても何も生まれませんから、その悔しさをバネにして、ぜひ大学生活を有意義にしてください。そう思って大学生活を送れば人の何倍も深みのある人間になれますから。