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論理と情緒と情熱と。

就活とかキャリアに関すること多め。「考えたこと」特に、キャリアに関するエントリーを中心に掲載してます。

「なんか口だけうまいやつ」が就活うまくいくワケ

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就活が終わった内定者と話していると、たまにこんなことを言う人がいます。
「就活ってすごい不平等やと思うしおかしいと思う。大学生活遊んで口だけうまいやつがうまく言っているのに、ちゃんと頑張ってた人はうまくいかないんだもん」

この感覚は正しいのでしょうか。新卒一括採用はいろいろと批判されますが、もし本当だとしたら日本の大学の役割という意味でも、望ましくないということになります。

それに、企業が学生を正当に評価できてないということになり、学生にとっても企業にとっても機会損失になります。

今回はこの問題について考えてみたいと思います。

組織構造から考えてみる、企業で必要な人材

アカデミックな分野の研究や定量的な分析を行うわけではありませんが、ここでひとつ思考実験をしてみたいと思います。

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世の中にはベンチャー企業と大企業という分類がありますが、両社においては求める人材が異なってきます。

ベンチャー、すなわち規模が小さい企業においては、自社のカルチャーと非常にマッチした人材が採られていく傾向にあります。逆説的に言えば、人数が小さいからこそ、そこにいるメンバー1人1人がその企業の文化を形成しているのです。

しかし、大企業になると話は変わってきます。
ベンチャーにおいては下図の右上のブロックに当たる人間が中心に採られていきます。といよりそうせざる得ない。
大企業は組織やシステムが安定して、それぞれの仕事の成果の属人性が低下していきます(つまり、誰がやっても一定の成果が出るということ)。それゆえそこまで優秀さにこだわる必要も無くなってきます。それに、そのシステムを継続させるために多くの人材が必要になってくるので、カルチャーフィットの小さなぶれは許容するようになってきます。

つまり、企業が小さいうちは右上のブロック中心だったのが、企業が大きくなるに連れて、右下や左上、ひいては左下まで広がってくることになるのです。
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では、そうした上で何がわかるのでしょうか。

ここで、一定以上の規模の組織では、柔軟なコミュニケーション能力の必要性というのが浮かび上がってくるのです。上で述べたように、企業の規模と人材の多様性というのは比例関係にあります。組織の規模が大きければ多様な人材がいます。価値観や志向、振る舞い、仕事のやり方などバラバラです。でもひとつの会社の中なのだからその中で一緒になって仕事をして成果を出さなければなりません。少なくともそれができる人でなければ企業はその人を必要としません。どんな人がいても適切なコミュニケーションをして、気持ちよく仕事ができる人を求めているのです。
これは、企業の合理的行動の結果に他なりません。

それは例えば社員数6000人などの超大企業だけに当てはまるわけではありません。数百人の企業であれば、数百通りの人間が働いているわけで、そういった異なる人たちとコミュニケーションを円滑に快適にとらなければならないのは、全ての人がそう簡単にできると言うわけではないはずです。

なので、企業の人事としては、多様な人材の最大公約数として、どんな人間とも交流できる人のほうが好ましいのです。「この人ならどんな社員とでも円滑に仕事ができる(=仲良くできる)だろう」と。なのでテレビのキー局だったり、食品メーカーの大手の内定者は(倍率が非常に高いので)、人当たりがずばぬけていい人が多いです。ものすごく優秀かというとそういうわけでもないのですが、とにかく「人とのコミュニケーション」という場に身を置いたときにかなり強いだろうなあという人たちなのです。

なので「口だけうまいやつ」というのは、大学生活を含めたその人の人生の中での人格形成やコミュニケーションによって、意図的にか無意識的にかはわかりませんが、多様な人たちと円滑にコミュニケーションする訓練を積んでいた結果、企業のニーズに適応していたということなのです。

構造的な問題

こう考えると、そもそも大学受験やアカデミックな分野で求められる能力と企業が求めるものが異なるという構造的な問題が、冒頭の不満を生んでいるということがわかります。

大学受験ではひたすら暗記して内容を理解し、それを簡単な文章でアウトプットすること、すなわち高い処理能力が求められます。
アカデミックな分野でも学部レベルだったら、大学受験で求められる能力の延長であることが大部分であることが現状でしょう。
しかし、企業においては上記で述べたような「柔軟なコミュニケーション」が必要となります。
結局、大学受験で処理能力を求められ、そこに過剰適応した結果、他の能力が必要だという観点に気づかずにその能力を高めることができず、新たな環境に過剰適応できなかった、というところに落ち着くのではないでしょうか。

そうやって考えを進めたときに論点となってくるのは、そういった構造的問題を放置している「社会」が間違っているのか、その変化に気づけない就活生が未熟なだけなのか、ということなのですが...

マクロな流れに適応していく

個人的には、社会の構造的な問題というのは一個人がどうにかできる問題ではないですし、それを変えようとしたときのエネルギーというのは、自分が変わって適応していくのに比べて膨大です。
コミュニケーションや人当たりというのは訓練すればある程度までは身に付くものですし、マクロ的な構造に適応していく方が建設的だと思うのです。


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