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ロジックは確かにツールだけど考えや価値観にも影響を与えるのかもしれない

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 論理的思考能力(=ロジック)というものがあります。ビジネス書でもそのたぐいの本があふれていますし、これを身につけたい人は多いようです。この能力を持っている人は、その面に関して肯定的な評価はされど否定的な評価はされないことがほとんどです。

 

これが出来る人はだいたい「頭がいい」という評価をされ、「うらやましい」と言われます。「うらやましい」と言うのは、自分は頭よくないけどあなたは頭がいいのでうらやましい、くらいの感情からきています。そしてこの感情というのは、この論理的思考能力が先天的であるという考えに基づいていると考えられます。なぜなら、生まれ持った才能であるから、自分が論理的思考ができないのは自分のせいではない、と言うことができるからです。

 

しかし、この論理的思考能力というのは所詮スキルであり後天的なものです。そうでなければ、例えば欧米人がロジックに強くて日本人が弱いと言われることに説明がつきません。ロジックというのは、英語という言語における思考体系、ないしものの考え方にほかならないのです。結論を先に言う、抽象的なことのあとに具体例を持ってくる、こういったことを論理的な物事の順序と言いますが、それはまさに英語の順序なのです。したがって、生まれた時から英語という言語に接し、文化的にもディベートに強くロジカルに考えられるように育てられているので、論理的思考に慣れているのです。これはまさにロジックが後天的に身につけられるということを示す好例ではないでしょうか。 

 

さて、ロジックは後天的に身につけられるということですが、このエントリーで考えたいのは、そう言って身につけられた単なる思考のスキルでしかないロジックが、その人の価値観にまで影響を与えるのではないかという仮説です。

 

なぜそういう仮説を抱くに至ったかというと、就活を通して出会った外銀・外コンの内定者及び就活生(一般の就活生よりロジックの訓練をしている人たち)に一定の価値観の偏りを感じ取ったからです(特に外銀)。なんというか、非常に合理的な思考をしていて、金銭的なメリットや自分にとってバリューのある行動には価値を置く反面、無駄なことが嫌いだったり、金や異性といった「欲」に忠実な人が多いです。

 

これは僕の主観ですが、ロジックというのはコミュニケーションの効率性を追求するスキルです。理解のしやすさと情報伝達のスピードを高めるという点において有益であり、そのためスピードが求められるビジネスでは重宝されるのでしょう。ロジカルなコミュニケーションではまず大事な情報から伝えるもので、それは結論先述に現れています。優先度の高い情報から伝えていくので無駄を省けるのです。まず伝えたい情報の骨子というか中心となる幹の部分を伝え、それから次に重要な枝の部分を伝え、その次に重要な葉の部分を伝えていきます。ですから、ロジカルなコミュニケーションになれると、この事象や事柄の本質は何なのか、一番重要な情報は何かということに自然に注意が向くようになるのです。こうすることで本筋から外れていたり、粗雑な部分の優先度を低く置くという意識が生まれるのです。

 

これが結果として効率的な物事を良しとする価値観に影響を与えるのではないでしょうか。本質的な、一番重要なことを優先していくような思考体系に慣れていくうちに、それを優先することを是とする価値観を有していくのです。無駄なことや体制に影響ないものは極力後回しにするような価値観。

卑近な例ですが、寄り道を嫌ったり、通勤時間を無為に過ごすのを嫌い英語のポッドキャストを聴いたり、自分にとって有益な人だけに友人関係を限定したり、オンとオフの強烈なメリハリをつけたり。そういうような行動に現れてくると感じます。

 

ただ、効率的という概念やそれに影響された価値観がいいか悪いかというのはまた別に考えなければならないところです。そこに善悪の判断を持ち込んでいけないとも言えるかもしれません。それぞれの志向は無差別に中立的だと思いますが、「効率志向」とそうじゃない志向が顕在化すると衝突してしまうのは防げない気がするのは僕だけでしょうか。

 

 

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※補足※

もちろん、外銀外コンを受けるような人やロジックを熱心に勉強する人というセグメントがある程度偏っているということは割引いて考えなければなりません。