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志望動機という虚像

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今日はセミナーに三つも行ってきたにもかかわらずかわいいこと仲良くなれなかったので残念極まりないんですが、ある投資銀行の方とお話して考えたことを少し。

 

僕は常々、「就活はゲームだ」ってツイッターで書いてるし、そう信じて疑わないんですが、そこから派生して、志望動機とかいうもののうすっぺらさについて、最近はずっと考えてました。

 

 

 

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例えば、DeNAに対しての志望動機を考える場合。まず、なぜその業界であるかという問いがあって、その次にその中でなぜDeNAなのかって答えられなければいけません。そして志望動機というのはそもそもマッチングや適性があるよってことを示すことなので、

  • わたしはこれこれこういうもので、またIT業界(DeNA)はこういう特性があるので、~という意味でマッチするので私は御社を志望します。
とかいう論理構造になるわけです。で、私に関する部分を自己分析なるもので考え、企業や業界に関する部分を業界分析や企業分析で作り上げるわけです。
 
自己分析なんていくらしたって自分という人間を定量的に分かり切ることなんて無理だし、志望動機とか適当でいいでしょ、とか思っててそんな大事に考えてなかったんです。だってたかだか学生の分際で、長期インターンだってしたことないし、企業の方だって大した情報くれないんだから、企業分析なんて限界ありまくりでしょとか思ってたんですが。
 
先日ある方々とお話させていただい際に、強烈なダメ出しをくらって「きみ、就活なめてんのふぁっ○ん」的なことを言われて精神的にかなりダメージを受けまして。「そんなロジックじゃ全然ダメ。論理飛躍がありすぎ。もっと自分のことについて考えなきゃダメだよ」とまあ散々なお叱りを受けました。
 
で、その時のことは自分の準備不足的なこともあったので、かなりブレブレな状態でお話してしまうことになってしまっていたので、ロジックとか整合性を詰めなきゃいけないのはごもっともなんですが。
正直、そこに「本当の自分」なんてものを求めちゃいけないと思うんですね。
「自分は本当はこれがやりたいんだ!!」
なんて一生わかるわけないでしょとか思うのです。
だっておれはITにだって興味あるし、商社みたいなグローバルな感じもワクワクするし、広告代理店で芸術的でアーティスティックな表現方法に酔いしれるのもよし、IBDやコンサルでどうだ俺のプレゼンすげえだろドヤアするのも自分のナルシズムを刺激されてすごい魅力的だし、どれだって面白いんですよ。
どれが一番なんて決められないんすよ。
 
そこで冒頭の本日の投資銀行の方のお話。
僕はその方にいろいろ質問していたのですが、先の叱られたことがあったので、その方が日々の業務で何にモチベートされるかってことをあらゆる方向から探ろうとしてました。そこで結局わかったこと。その方いわく「どんな仕事でも、面白いことってあるし、むしろそれを面白いと思えるように自分の方が変わるんだよね。興味を持とうとすればなんだって楽しいし。」
本当にこの言葉に集約されると思うのですが、これによって志望動機って本当に無に期してしまう。新卒採用なんて基本ポテンシャル採用なんだし、そんな微々たる差の適性なんて無視できる範囲なんですよね。興味持てばなんだっておもしろい。これが心理。
 
これがあるから、所詮志望動機なんて、その本義である適性なんて絶対見れない。情報収集能力やら論理性やらは見れるかもしれないけど。それだけ。
 
 
こう言う意味でもやっぱり、就活はゲームだという思いを抱かざるえないのです。