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感情より理性の声に耳を傾けて「決断すること」が大事。-「ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく」を読んで-

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「突き抜けた人」という表現があります。皆さんはこれからどんな人をイメージしますか?ごく最近、Facebookを見ていたときに強烈な「突き抜けた人」に関する記事がシェアされていました。

突き抜けた人たちは、決まって「他人からどう見られるか」なんて気にしていない。ぜんぜん「委縮」していないんです。そんなことは「どうでもいい」って思ってます。「人に好かれたい」なんていう気持ちも、少しは残っていたりしても、基本的に無視します。

そのかわり、彼らは、自分の価値観にすごい忠誠心を持っています。価値観どおりに行動します。そうした強い意思というのは、別の言い方をすれば、世界の「あるべき姿」のビジョンです。だから、今ある不完全な世界に、怒っています。

突き抜けた人は、どうしてみんな子供なんだろう? : NED-WLT

ごく最近、Facebookでシェアされているのを見てこの記事からの引用です。僕はこれに強い共感を覚えました。今まで見てきた「突き抜けた人」はみんなこれに該当するからです。

大学在学中に休学して新大陸で企業準備を始める大学の同期、就活中に出会ったコンサルティングファームでインターンしている私学の学生、めちゃくちゃきれいなモデル兼実業家の女性、理系大学院を辞めてお笑いの道に進んだ先輩、などなど。

彼ら彼女らは皆、輝いています。それは自分の好きなことを生き生きとやっているからであり、しかも「好きなこと」というのは普通の人がやりたくても踏ん切りがつかずなかなかできないものであったりするから、余計に羨望の目で見られたりします。やはり何かにつけて一生懸命に努力して立ち向かっている人というのは見ていて清々しいですし、個人的にはそういう人たちと一緒に過ごしている時間が最近は一番楽しいと感じるようになりました。

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中学生くらいまでは、努力することはかっこわるいって思ってました。頑張るなんてバカみたいって。頑張らないでできた方がかっこういいじゃん、って。でも、たぶんそれは、才能で何とかなるのが中学生までだからだったと思うのです。どんな分野でも、高校生くらい空になると才能だけじゃやっていけなくて、必ず上には上がいる。何かの分野で卓越した成果を上げるには才能とともに努力が必要になってきますよね。勉強でもスポーツでも芸術でも。僕なんかは、とりあえず一般的な高校生よりは受験を頑張って、ある程度の成果も出せて、それ以来、「努力ってすばらしいな」って思うようになりました。

そしてそれは書籍「ゼロ」を含め、僕が知っているホリエモンも、「自分の価値観にすごい忠誠心を持って」いるのです。

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく

ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく

もし、成果に向かって全力疾走することを「努力」と呼ぶのなら、努力するなんて当たり前のことだ

(前略)僕は世の中にはびこる不合理なものを嫌う、徹底した合理主義者だった。そして物事をマクロ的に考え、「システム」を変えれば国が変わると思ってきた。

ホリエモンも彼の中で「世界はこうあるべき」という強烈な信念や世界観があって、愚直にそれに向かって突き進んでいるだけなのです。今の世の中は既得権益がはびこる世界で、ずるして甘い汁を吸っているオトナたちがいる。そんなの許せない。よりクリーンな「正しい」世界に向かって彼は動いていたのでしょう。だからテレビ局という危篤権益にも挑戦したし、選挙にも出馬した。

しかもそれがまわりからどう思われようと気にせずに、ただひたすら自分の正義を貫いていく、そんな姿は今まで挙げてきた人たちと同様、「かっこいい」と言っていいものだと思うんですよね(その姿勢が災いして既得権益の虎の尾を踏み、有罪判決を受けることになってしまったわけですが、それは方法論の問題なので、大したことではないんですね)。

突き抜けた人たちは決断する能力が高いのです。一歩踏み出そうとしたとき、何かを決めなければならないとき、すぱっと決めることができてしまう。仮にそれが他人からマイナスの評価を受けるものであったとしても、自分の「論理」に耳を傾けて正しいと思うならば、そんなマイナス評価は感情の揺れにすぎません。そうやって自分の論理や信念に忠実に決断していくことが、「突き抜ける」には必要条件なのです。

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