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人生で大切なことの半分くらいは大学受験が教えてくれた

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今日はセンター試験ですね。僕の大学も実施日前日の一昨日からはウチの大学の学生と関係者しか入れないようになっていて、大学で他大学の人と話そうと思っていたので面食らいました。別にそんな悪いことしないって…笑

なんだか今年からセンター試験の制度も新しくなるそうで今年は試験官をする教員も受験生も大変みたいです。個人的にはセンター試験なんて受けたの太古の昔だし、塾講師のアルバイトも昔やったっきりやめちゃったし、全く遠い存在に感じるようになってしまったのですが。かなしい。
http://manabi.benesse.ne.jp/nyushi/2015/shin_info1/


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受験の功罪

大学受験はしばしば、やっても意味がないという文脈で批判されます。世界史のこのカタカナばかりの王様の名前を覚えてなんになるんだってね。フィリップスが2世だか4世だかいて、ルイさんも14世だか16世だかいるし、非常に紛らわしく、かつこんなの何の役に立つんだって思っていた部分もあります。数千も前に栄えていた王朝のアケメネス朝がどんな帝国かって知ったところでどうするんだと。

しかし、何事もそうですが、真剣に取り組めばそこから得られるものというのは大きいものです。たしかに世界史の年表やら数学の公式やらやった内容についてはほとんど忘却しているのですが、受験が終わった後には、何かに取り組むときにどのように取り組むべきかという手法についてはその辺の自己啓発本書いてあるレベルは当然だと思うようになっていました。受験生のときは1日10時間以上とか勉強しましたが、その中で得られたものというのは今の自分の土台となっているのです。

受験終了後の空いた時間に読んでみた本。書いてあることの9割がたの内容はすでに自分の身体に染み付いていました。

複数の物事を同時進行させる計画性

大学受験では複数の教科をこなさなければならないわけです(中には英語+小論文とか、少ない教科でもいけるところもありますが今回はそれは除いて考えます)。私立文系専願の人でも英語、国語、数学(社会)で最低3科目は必要ですよね。国立大学受ける場合にいたっては国語、数学、英語、理科、社会とやらなきゃいけないわけです。TOEICとはワケが違うのです。

英語が苦手だからってずっと英語ばかりやっていたら得意だったはずの世界史は急降下していきますし。その辺のバランス感覚というか、自分の時間というリソースがどれだけ残っていて、どれだけのリソースを投入したらこの教科はどれくらい伸びるだろうっていう予測ができて、その上でリソースをどう配分して志望校合格まで持っていくかということを考えざる得なくなってくるわけです。

これはある一時点での話ですが、時間軸も考慮したリソース配分も大事で、例えば10月までに英語と数学が仕上がるから、そこから社会に取り組んで、12月になったらセンター試験があるから総まとめをしようというように自分の成績が時間を経てどう変化していくかということをふまえた上で計画を立てる必要があるのです。

そしてそれをやるっていう意思決定をするだけじゃダメで、きちんと進捗管理もしなきゃいけない。ふたを開けてみたらみんな60%しか進んでいないんじゃ、計画性があるとはいえませんよね。これは次の進捗管理にも関わってくるのでそっちで書きたいと思います。

長期的なスパンで物事を達成する進捗管理

いったん立てた計画を確実に実行するためには、それぞれの教科のそれぞれどれくらいの成績を上げていて、どういう風に推移しているかということをまず把握しなければなりません。把握した上で当初の計画と照らし合わせて問題があるならば改善しなければいけませんせんし、逆に想定していたより英語の伸びがいいならば、英語にかける時間を減らして、足を引っ張っている数学にもっと時間をかけてみてもいいでしょう。

そうやって教科のポートフォリオを組んでおいて、常にチェックし必要に応じてアクションを起こすということを身体にしみ込ませたこと、そういうマインドを持てたので、勉強をやっていればいい高校生から、様々なコミュニティに属していく大学生へと行動パターンを変化させる際にもスムーズな橋渡しができました。

論理的思考能力

これは特に数学や現代文で鍛えられたのですが、それは論理的に記述されている物事を理解することや論理的な枠組みのもとで自分の考えを表現することが要求されるからなんですね。

数学という教科は論理そのものを数式や記号を用いて表したものであって、問題を解く際にもその「論理」を理解しないとそもそも解けませんし、記述式の回答の場合は厳格に論理的整合性がとれている回答でなければマルはもらえません。最初は全くそれがわからないのですが(笑)、「これはどういう理屈でこうなっているのかなー」と検討していって、次第にわかっていくようになるのです。

しかも数学の場合は、出題範囲になっている問題やその解放が大量にあって、解き方を覚えるという作業をしないと対応できません。なので、そういった論理のフレームワークが頭の中に蓄積されていくことによって、論理的思考(の基礎)が身に付いていくのです。

現代文の場合も、特に論説文の場合は日本語でありながら論理的な文章の組み立て方に乗っ取って記述されているので、その論理を追うことによって回答を導くことができます。現代文(の記述式の問題)はよく、正解がひとつじゃないから難しいと言われますが、このように論理を追っていくことによって書くべき内容は定まってくるので、細かな表現のニュアンスを除けば、正解はひとつに求められるんですよね。
現代文の場合もそういう論理を汲み取り理解し、必要に応じて表現する科目なんですね。

英語の基礎

これは自明だと思いますが、直接的な恩恵を挙げるならば、大学に入ってから留学生と交流する際にもそんなに流暢でないにしろ、コミュニケーションとれているということでしょうか。TOEICやTOEFLなどの英語の試験の対策への移行もスムーズにできましたし、ネット上の英語の記事や動画などもある程度なら理解できるようになりました。そこにいたるまでの基礎を作ってくれたのです。これからの企業の動きや世界の動きを見ても英語が必要になってくるのは明らかなので、やっていてよかったなーって思っています。
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もちろんこれは人生の半分でしかない

思いつくだけぱっと挙げて書いてみました。たぶんもっとあるんでしょうけど、とりあえず思い出せた範囲までということで。これらの能力は「仕事を進める」ことに関しては有用な能力ですが、人生にはもっとたくさん大切なことがあります。人付き合いとか、プライベートとか、仕事だけでいってもマネジメント能力は全く鍛えられないし。
ですが、ここで真剣に受験に向き合ったことで、僕は曲がりなりにもこういった基礎を身につけることができました。案外受験も悪いことばかりじゃないですよ。


受験生の皆さんは明日のセンター試験、そしてこれから一般入試や国立の二次試験があると思います。悔いのない「受験」ができるように祈ってます。