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論理と情緒と情熱と。

就活とかキャリアに関すること多め。「考えたこと」特に、キャリアに関するエントリーを中心に掲載してます。

就活に踊らされる就活生-悪いのは社会か学生か-

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※一部修正しました1/16

巷ではよく、就活の画一性が気持ち悪いと批判されます。皆同じスーツや髪型、化粧をして、同じような所作やお辞儀をして、同じような質問をして...
そういった「気持ち悪さ」をうまく描いている作品を芸大の方が作成しています。

少し前に話題になった動画、「就活狂想曲」です。


アニメーション「就活狂想曲」 - YouTube

就活狂奏曲が描いている世界

これは就活生の葛藤を描いています。普通に大学生活をしていると思っていたら、仲のいい友達が就活を始めだす。周りの就活生は皆、狂ったように大人に媚を売り、テンプレ通りの「就活」をしていく。そして、それに戸惑っていた主人公もやがてその流れに飲み込まれてしまうのです。

会社説明会では「すばらしい説明」に拍手喝采。
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自分がどう考えるかなんてのはみじんも外に出さずに、無条件に礼賛する。社員の話を過剰にうなずきながら聞き、熱心にメモを取ってるアピール。グループディスカッションや面接では気持ち悪いくらいに自分を面接官に売り込む。でもいい子しているのは表面だけで、内心は他の就活生を蹴落とそうと思っている。

そして主人公は、そんな周りの変化についていけず、「素直なままの自分」で臨んでみるけれどそれでは企業からは好かれず、周りの就活生に遅れを取っていく。

敗北感。
友人たちは順調に就活を進めていく。

そんな中で主人公は「典型的な就活生」の仮面をかぶるようになります。
大人たちに作り笑いを繕い、面接官たちにゴマをする。そんな中、やっとの思いで最終面接にたどり着くのですが、結果は不採用。
動画の最後には、また次のセミナーに向かう主人公の姿が描かれて、狂想曲は終わります。

映像に込められた想い

制作者が描きたかったのは、新卒一括採用という日本特有の制度の中でもがく、就活生の苦悩でしょう。新卒一括採用制度は「みんな同じ動きをしていて気持ち悪い」という文脈でよく批判されます。皆同じリクルートスーツを着て、「今回は貴重なお話ありがとうございました」みたいな同じような文句を言う。皆、望んでそのような行動をとっているわけではないのに。

「自分のありのまま」に固執した結果、みんな同じになるならまだしも、これは「本当の自分」を偽り、皆が無理に型にはめようとしているだけなのだ。「企業」や「社会」に合せて振る舞わなければならない。媚を売って、表面的な嘘をついて。話のうまいやつがうまくいく。

でも、この社会では就職しなければならなくて、そのレールから外れてはいけないという固定観念を強く持っていて、でもこのくだらないレースに乗っかっている、乗っからざる得ないと思っている。でもそのその「通らなければならない道」は非合理的すぎるし、気持ち悪すぎる。

そんな思いが込められているように感じます。

そして最後に、そんな「典型的な就活生」になっても不採用に至ってしまうのは、制作者自身も就活に問題意識を感じ、「典型的な就活生」になることを批判しているからなのでしょう。

新卒一括採用批判の是非

さて、「気持ち悪い」と批判される新卒一括採用ですが、本当にそんなに、批判されるべきものなのでしょうか。少なくとも、「みんな同じことをやっている気持ち悪さ」とか「素の自分を押し殺さなければならない」とか言うのは、僕はこれは単なる学生の愚痴でしかないと思っています。そしてこういう愚痴を言うのは、圧倒的に受け身な人間が多いです。

そもそも「同じことをやっていて気持ち悪い」と言っている発言のウラには、「本当は人間って個性的で、こんな僕もオリジナルなのに、なんで画一的なこと押し付けられなきゃいけないの」という想いがあるのでしょうが、企業から見たらただの交換可能な人材にすぎないという視点が欠けすぎています。


世界はあなたを中心に回っているんじゃない

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この言葉につきるのです。

新卒一括採用制度を選んで就職するならばそのシステムに従うしかないし、それを用いたいのならそこのルールの中で最大限パフォーマンスを発揮すればいいだけです。その決められたルールの中でどうやって勝ちにいくかという能動的な姿勢が欠如しているだけなのです。

加えて、こういう批判をする人というのは、未知のものや変化を極端に怖がるのだろうと推測します。今までぬくぬくとした大学生活を送ってきたけど、急に就活をしなきゃいけないという現実に直面して、その環境に変化に伴ってエネルギーをかけないいけないことを、かかる負荷を面倒くさいと感じているだけなのでしょう。しかし、環境が刻々と変改している現代で、そのような「変わらないこと」を望むのはあまりにも非現実的ではないでしょうか。

そういった画一的なレールにのるのが嫌だったら、死ぬほど吐き気がするんだったら、新卒一括採用に載らないという選択肢もあります。それに現代はそういう選択肢がだんだんとりやすくなってきているということもあります。それをとらないで新卒一括採用を批判して、それ以外の選択肢をとる努力もしないのならば、それは幼稚な戯言にすぎないのではないでしょうか。

セーフティーネットのお話

これとは別に、新卒失敗したら人生は負け組、みたいなことがもしあるのだとしたら、それは是正すべき社会的課題だと思っています。リスクをとらないところにイノベーションや社会の発展はないので、そういったリスクを許容する社会を制度的に構築するという意味で、失敗してもまた再チャレンジできる制度設計(ベーシックインカムとか)は必須でしょう。

ぶっちゃけた話

正直、こういうで苦しむのって「イケてない」就活生で、そういう「イケてるか」っていう指標って平均値をとると学歴が高い学生の方が高い印象があるんですよね。実感として。就活支援の活動の一環で、百人単位の学生と会い、それぞれ数時間以上、彼ら彼女らの過去や現在、未来に向き合って話をしてきた僕個人の経験からすると、そう思わざる得ないのです。

この事象に対してあえて論理的説明を試みるならば、大学受験の経験ということが大きな影響を与えていると考えられます。大学受験というのは、合格するかどうかもわからないのにという意味でリスクをとって、苦痛な受験勉強を我慢し、決まりきった物事に能動的に取り組むことにを求められます。いくら高価な塾に通っても、能動的に自学自習しなければ勉強量として絶対的に足りないのです。

その意味で、高学歴の人たちは、あくまでも「成功するかどうかわからない未来のことに対して、計画的かつ能動的に、敷かれたレールに乗って努力する」能力が、そうでない人たちより高いのでしょう。もちろん、対人コミュニケーションについてはまた別の話ですが。

なので、こういうことでブーブー批判している人たちとかって、自分の能力のなさや視野の狭さを棚にあげてしまっているとも言えてしまうと思う。もしこれが、社会の階層の固定化を助長しているなら、解決しなければならない課題になるのでしょうかねー。

※あくまでも傾向話で、学歴が低い=イケてないとは思ってません。確率の話。

能動的な就活をするために

絶対内定2015―――自己分析とキャリアデザインの描き方

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