論理と情緒と情熱と。

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ホリエモンが努力の人間である理由-「ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく」を読んで-

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堀江隆文さんの「ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく」を読みました。

実は僕はホリエモンのファンで、今までの彼の著作も何冊か読んでいて、メルマガも購読しています。今回の本では、ホリエモンの過去の話や生い立ちを含めて、彼が日本に、読者にどうあってほしいかということを投げかけています。多方面から考えさせられるところがあったので、複数記事に分けて綴っていきたいと思います。

その中でも、今回は、なぜホリエモンはあそこまで努力の人なのか、ということについて考えていきたい思います。彼は常に自分を忙しくし、自己研鑽や目標を達成するための努力をはばかりません。その姿勢が今の彼の地位を支える一要素であることは間違いありません。本作ではホリエモンの過去についてもふんだんに触れられているため、彼の過去からその理由を探ります。

怖かった母親の存在

「ゼロ」の中にこんな記述があります。

しかし、ひとつだけ「普通」と違ったところがある。父と出かける先に、母の姿がなかったことだ。海に行くのも、遊園地に行くのも、いつも父と僕の二人だけだった。そしてどういうわけだか僕は、母がいないのを当たり前のこととして受け止めていた。少年時代の子供らしい思い出に、母の姿はほとんどない。酔っぱらった父の「せらしか!」なんて、どうってことなかった。堀江家の中でもっとも気性が激しかったのは、間違いなく母だった

性格的にはとにかく激しい人で、他人の意見をひとつも聞かないまま、独断で物事を進める、そして絶対に自分の意見を曲げない

この後、本文では母親の激しさを表すエピソードがいくつも続きます。例えば、急に何の前触れもなく柔道教室に連れて行かれ、その日から通わされたりだとか、ある日いきなり、堀江少年の愛してやまないパソコンをゴミに出してしまったりだとか。逆らおうものなら叱咤の嵐。

出てくる言葉は、いつも命令形。

あるとき、堀江少年が柔道をさぼったときには、家を閉め出されて、どんなに泣き叫んでも入れてもらえませんでした.それくらい、ある意味厳しい、激しい人だったのです。

母親の前では自分の願いというのは無力で、無条件、理不尽に自分は否定されてしまう。母は絶対だった。そのような環境で幼少期を過ごした堀江少年にとって、この母親の存在というのはひとつの大きな原体験になっているはずです。自分の自由が聞かない現状、それに対する不満を蓄積している。そういうような状況で自由に対する反動というものが彼の中に形成されていったのでしょう。この体験が今の自由を求めようとする原動力、社会の不条理・理不尽対する嫌悪感、「つきぬけている」ことのもとになっているのです。

何もなかった生まれ故郷

堀江少年は福岡の片田舎の八女市で生まれました。

むしろ僕のおかれた環境は、最悪に近かった

そこは山間部の地域で、サラリーマン家庭はほとんどない、絵に描いたようなど田舎でした。家もまばらで点々と存在しているだけ.なのでそこには都会的な文化的なもの、教養なんてほとんど皆無です。
勉強ができた、優秀な堀江少年、好奇心の固まりのような彼にとってそんな環境は耐えられなかったのです。
加えて、運動ができるわけでもない、だからそれでクラスでちやほやされることもない、母のせいで強制的に通わされている柔道のせいでテレビも見ることもできず友達とその話題もk表有することもできない。そんな状況に疎外感を感じていたのでした。

県で一番の中高一貫進学校に進学してもからもその疎外感は消えることはなかった。パソコンにはまってしまったため、成績はもちろん下がる。そういったエリート校では偏差値が大きな物差しになるのでしょう、ただの勉強できない堀江くん、になってしまっていました。それに、そこで集まってくる同級生たちは確かに頭はいいのだけれど堀江少年にとっては「おもしろい人種」ではなかった。彼らはただのいい子ちゃんであって、まじめそのもの。型にはまったレールを文字通り通っているだけで、何にも面白くなかった。
それに男子校なので女の子との出会いもない。そういった状況から早く抜け出したいと、思うようになったのです。なので、大学受験でもそれがかなえられる唯一の大学(両親でも納得してもらえる)、東大を目指したのです。

このネガティブなモチベーションとでも言うべきものが、当時のホリエモン原動力になっていたのでしょう。納得できない現状、ここにとどまっていてはいけない感。そういうものが彼を(この場合は)勉強をする努力へと駆り立てたのです。

ネガティブなモチベーションというのは時に非常に大きなものになります。これは[自己分析のヒント]優秀な人間が必ず通る成長経路を見つけた - 論理と情緒と情熱と。でも述べましたね。僕自身の場合も、大学受験においてはネガティブなモチベーションで動いていましたし、それはほとんどホリエモンのものと一緒でした。
僕も当時、とにかく地元を離れたかった。それは同じ高校の人たちと一緒にいてもなんか面白くなかったっていうのもあるし、何より親元を離れたかったのです。「この家にいては自分はダメだ」という強烈な思いがありました。

なんにせよ、こういった現状からの脱却への願望というものが、ホリエモンを「努力の人間」へと形作っていったのは間違いないでしょう。

小さな成功体験

小学校4年生から堀江少年は進学塾に通い始めます。それは、小学校のクラスにいては勉強のレベルも低くてつまらなかったし、先生という当時の教員のすすめもあって、県下一の新学校である久留米大学付設中学に入学しようという思いが芽生えたからでした。
ホリエモンは塾通いに魅せられた理由に、そこに通っている子供たちが面白いこととともに、講師のレベルの高さや授業のレベルの高さを挙げています。堀江少年は最上級のクラスで授業を受け、自分が面白いと思えるレベルの授業を受けられるようになります。そこで、同じようなレベルの仲間たちと切磋琢磨することができる。おそらくそこには競争意識が生まれたのでしょう。こういった競争意識というのも「努力する」モチベーションを育みには重要な要素になります。

そうすると、あれだけ退屈だった勉強がおもしろくなり、より難しい問題、より難しい課題を求めていくようになっていく

難しい問題を与えられ、それが解けたときは快感、解けなかったらそれが悔しくてもう一度トライしたくなる。そうやって「がんばる」ことへの良いサイクルが生まれていたんでしょう。
もっとも、このとき、「努力している」という感覚はなかったはずです。文字通り勉強に「ハマって」いた。こういった経験を通して、何かに熱中することの楽しさを覚えていったのです。

愛情に対する飢え➡自己承認欲求の強さ

さて、ここまで堀江少年の過去を振り返って、なぜ彼が努力できる人間になったのかということを考察してきましたが、やはり根本にあるのは母親の存在ではないかと思います。[自己分析のヒント]過去の経験がその人の人格形成に寄与する部分について - 論理と情緒と情熱と。でも書きましたが、その人の人格形成に与える影響において、親の存在というのは無視できません。

ホリエモンはおそらく、非常に自己承認欲求の高い人間なのです。おそらくこれが努力の全ての源泉と言っても過言ではないでしょう。気性がとても荒く、自分の言ったことを絶対曲げない、そんな母親に認めてもらえなかった経験、幼少期にずっとそれに直面せいていたことによって、これが彼の中でコアとなっていて、「認めてもらいたい」という願望が彼のコアになっているのではないでしょうか。
勉強をがんばれたのも、自分がしたいことをする条件として提示したときに両親に納得してもらえる唯一の条件が勉強で、だから頑張れたと書いていますが、それは言い換えれば、勉強が唯一彼の承認欲求を満たせるものだったからに他ならないでしょう。

僕の個人的な経験からしても、きちんと努力できる人というのは承認欲求が強い人が多いです。それは決してネガティブな意味ではなく、そしてそれを意識しているわけでもなく、無意識にそれが身体に染み付いているからです。それが単純に「努力できる」志向性へと転嫁しているのです。

作中、ホリエモンが働く理由として、働くことによって同じ時間を仲間と共有したかったからと綴っています。
彼は決してドライな人間ではなく、本当はすごい寂しがりやなのかもしれません。