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傲慢と謙虚のはざまで

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久しぶりに初対面の人というか、あまりまだ仲が深まっていない飲み会に参加して、すごいなあと思った人のことについて。僕自身は、風邪だったってのもあって、静かに飲んでいたんだけど。

 

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僕がなんでその人のことをすごいなあと思ったのかは、僕に持ってないものを持っていたから。そしてそれは、僕が最近になって、ずっとほしいって思っていたものだったから。

 

どういう意味ですごいかというと、いわゆる「コミュ力」という点で。この言葉は非常にあいまいで照準の定まらない言葉だけれど、僕はこれを、他人と快くコミュニケーションできる能力だと思っている。もっといえば、もっとこの人と喋りたい、ずっとしゃべっていたい、と思わせるスキルのこと。

 

まず、彼は相手のいいところを見つけるのがうまい。どんな小さなことでも、まず、いいところを見つけて、そして誉める。どんな人間でも、褒められて悪い気がする者はいないはず。しかもあまり仲が深まってない時点でこれをやるのは、非常に有効(逆にすでに仲がいい友人同士でやるのは、特に飲み会の場ではあんまり頻度的な意味でないのかなーと思う。照れくささや嫌味が出てしまいそうで)。

そして、これができるというのは、観察力が優れているからじゃないだろうかと思う。普段からというか、人とコミュニケーションとるときには常に他者を気にしている。そういう観察力というのは、受動的なものなのか、能動的なものなのかはわからないけれど、ある程度無意識にやれてるんだろうな。たぶん、意識的に「観察」していったことの積み重ねが、無意識でも他者を把握できることにつながっている。

そして、この意識的な「観察」の根源にあるのは「他人への興味」なんだと思う。別の言い方をすれば非ジコチューさ。純粋に人間が好き、人間と一緒にいる、ということをとの沁みたい人。なんだか、最近の僕は、友人含めた、他者への関心が薄れていたように思う。割と自分本位になっていた。自分のキャリアのため、自分の能力のため。そういえば就活のフィードバックでもそんなようなことを言われていた。進歩してないなあ..

 

あと、これも上の事柄とつながってくることだけど、あまり喋ってない人に対しても、気づいたら話しかけて、一緒に会話して盛り上がろうとする。これも人間への興味所以なのかなあと思ったり。

飲み会でも、その中の一部の人だけで盛り上がっているより、そこに参加している人全員が楽しみを共有できることが、場の雰囲気もよくなる。そういうことを、ちゃんとわかってる。

 

 あと、自分の身を場に任せること、そのことに対するリスクを厭わない姿勢がある。そしてこれは「笑い」に関して非常に重要な要素。身を場に任せるとは、たとえば飲み会で複数人に対してボケるようなときのこと。これをいって、突っ込んでくれるだろう、でもしらけたらどうしよう、今のこの「場」は自分の発言をうけとめてくれるだろうか、という不安。そういう不安やリスクを許容するということに慣れていること。

 

たぶん、僕と彼の決定的な差は「傲慢さ」に起因する。

というか、今の僕のダメなろころが傲慢さなんだ。少し自己本位なところがあって、ある程度自分に自信があるので、他人からみたらうざく映ることもある。自分への関心が主で、他人への興味があんまり。

傲慢でなく謙虚でありたい。

なんだけど、なかなか難しいのである。

 

まずは、他者への興味から。